特攻隊の遺書から本音を読み解く [神風特攻隊]
もうすぐ終戦記念日ですね。
映画永遠の0でも取り上げられましたが
太平洋戦争の末期では神風特攻隊が
多数志願されたようですよね。
神風特攻隊・・今なら考えもつかない
戦法ですが当時の若者は特攻を行う前に
遺書を綴ったそうです。
特攻に向かう若者は遺書にどんな本音を
書いたと思いますか?
涙なしには見られません
特攻隊の遺書に書かれた若者の本音を
調べてみました。
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8C%AF%E6%AD%A6%E9%9A%8A様より引用
特攻隊への志願に対して熱望した若者達
その中の何人かは特攻隊へ向かうこととなります。
勿論故郷に愛する人が待っている前提の話ですよね。
やりたいわけがありません。
今の若者も昔の若者も違いはありません。
特攻隊は恐怖以外の何物でも無かったのです。
しかし御国の為と特攻隊に志願する若者の多いこと。
彼らが遺書を書く理由は揺らぐ意思を
固める目的が一番だったそうです。
明日特攻隊で死んでしまうという状況の中
弱気になってしまう。本音はすごく怖い。
だから遺書に強い言葉で決意を固めたのです。
自分の運命を受け入れ仲間の為に
日本の勝利のために少しでも貢献できるように。
そして故郷に残した愛すべき人に
自分が勇敢だったことを残すために。
全てが本音の文では無いのかもしれません。
今持てる環境の中での
精一杯の強がりが特攻隊の遺書なのでしょう。
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戦いは日一日と激しさを加えて参りました。
父母上様、長い間お世話になりました。私も未だ十九才の若輩で、この大空の決戦に参加できることを、深く喜んでおります。
私は潔く死んでいきます。
今日の海の色、見事なものです。決してなげいて下さいますな。
抑々海軍航空に志した時、真っ先に許されそして激励して下さったのは、父母上様ではなかったでしょうか。既に今日あるは覚悟の上でしょう。私も魂のみたてとして、ただただ大空に身を捧げんとして予科練に入り、今日まで猛特訓に毎日を送ってきたのです。今それが報いられ、日本男子として本当に男に花を咲かせるときが来たのです。
この十九年間、人生五十年に比べれば短いですが、私は実に長く感じました。数々の思出は走馬燈の如く胸中をかけめぐります。
故郷の兎追いしあの山、小鮒釣りしあの川、皆懐かしい思出ばかりです。
しかし父母様にお別れするに当たり、もっと孝行がしたかった。そればかりが残念です。随分暴れ者で迷惑をおかけし、今になって後悔しております。
お身体を大切に、そればかりがお願いです。親に甘えた事、叱られた事、皆懐かしいです。育子、昌子の二人は私の様に母に甘えたり叱られたり出来ないかと思うとかわいそうです。
いつまでも仲良くお暮らし下さい。私も喜んで大空に散っていきます。
平常あちこちにご無沙汰ばかりしておりますから、何卒よろしくお知らせ下さい。お願いします。御身大切にごきげんよう。
神風特別攻撃隊 大和隊員
一飛曹 塩田 寛 18才
昭和19年10月26日 レイテ沖にて特攻戦死
http://www.yokaren.net/modules/tinyd/様より引用
私も東京に観光に行ったとき
靖国神社へ参拝に行かせてもらいました。
私が行ったのは朝の7時半でしたが、
平日の朝にも関わらず参拝者が後を絶ちませんでした。
主にお参りをする境内の横には
太平洋戦争で捕虜となり、
今から亡くなる方の最後の手紙がご自由にお持ちくださいと
コピーが置いてありました。
それを読んだ時も
この平和な日本を作ってくれたのは
偉大な先人たちなんだなと妙に誇らしげになった気がしました。
私が今回の記事を書くうえで
少し特攻隊の遺書内容を調べさせてもらいましたが
誰一人として弱音を書いていないんですよね。
遺書に本音を書かないというよりも
弱みを絶対に見せまいとする覚悟が現れていました。
特に特攻隊員はみんな20歳前後じゃないですか
私より皆年下です。
そんな若者が遺書に本音をつぶしてまで
強がりを書いて散っていったと思うと
日本国民として誇らしげな気分となりました。
そんなまだ生きたかった若者が
特攻隊で命を落としてまで守りたかった日本に
私は何ができるのだろうと毎年8月には思うのです。
映画永遠の0でも取り上げられましたが
太平洋戦争の末期では神風特攻隊が
多数志願されたようですよね。
神風特攻隊・・今なら考えもつかない
戦法ですが当時の若者は特攻を行う前に
遺書を綴ったそうです。
特攻に向かう若者は遺書にどんな本音を
書いたと思いますか?
涙なしには見られません
特攻隊の遺書に書かれた若者の本音を
調べてみました。
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特攻隊の若者の遺書と本音
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8C%AF%E6%AD%A6%E9%9A%8A様より引用
特攻隊への志願に対して熱望した若者達
その中の何人かは特攻隊へ向かうこととなります。
勿論故郷に愛する人が待っている前提の話ですよね。
やりたいわけがありません。
今の若者も昔の若者も違いはありません。
特攻隊は恐怖以外の何物でも無かったのです。
しかし御国の為と特攻隊に志願する若者の多いこと。
彼らが遺書を書く理由は揺らぐ意思を
固める目的が一番だったそうです。
明日特攻隊で死んでしまうという状況の中
弱気になってしまう。本音はすごく怖い。
だから遺書に強い言葉で決意を固めたのです。
自分の運命を受け入れ仲間の為に
日本の勝利のために少しでも貢献できるように。
そして故郷に残した愛すべき人に
自分が勇敢だったことを残すために。
全てが本音の文では無いのかもしれません。
今持てる環境の中での
精一杯の強がりが特攻隊の遺書なのでしょう。
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特攻隊の遺書の中身とは
戦いは日一日と激しさを加えて参りました。
父母上様、長い間お世話になりました。私も未だ十九才の若輩で、この大空の決戦に参加できることを、深く喜んでおります。
私は潔く死んでいきます。
今日の海の色、見事なものです。決してなげいて下さいますな。
抑々海軍航空に志した時、真っ先に許されそして激励して下さったのは、父母上様ではなかったでしょうか。既に今日あるは覚悟の上でしょう。私も魂のみたてとして、ただただ大空に身を捧げんとして予科練に入り、今日まで猛特訓に毎日を送ってきたのです。今それが報いられ、日本男子として本当に男に花を咲かせるときが来たのです。
この十九年間、人生五十年に比べれば短いですが、私は実に長く感じました。数々の思出は走馬燈の如く胸中をかけめぐります。
故郷の兎追いしあの山、小鮒釣りしあの川、皆懐かしい思出ばかりです。
しかし父母様にお別れするに当たり、もっと孝行がしたかった。そればかりが残念です。随分暴れ者で迷惑をおかけし、今になって後悔しております。
お身体を大切に、そればかりがお願いです。親に甘えた事、叱られた事、皆懐かしいです。育子、昌子の二人は私の様に母に甘えたり叱られたり出来ないかと思うとかわいそうです。
いつまでも仲良くお暮らし下さい。私も喜んで大空に散っていきます。
平常あちこちにご無沙汰ばかりしておりますから、何卒よろしくお知らせ下さい。お願いします。御身大切にごきげんよう。
神風特別攻撃隊 大和隊員
一飛曹 塩田 寛 18才
昭和19年10月26日 レイテ沖にて特攻戦死
http://www.yokaren.net/modules/tinyd/様より引用
私も東京に観光に行ったとき
靖国神社へ参拝に行かせてもらいました。
私が行ったのは朝の7時半でしたが、
平日の朝にも関わらず参拝者が後を絶ちませんでした。
主にお参りをする境内の横には
太平洋戦争で捕虜となり、
今から亡くなる方の最後の手紙がご自由にお持ちくださいと
コピーが置いてありました。
それを読んだ時も
この平和な日本を作ってくれたのは
偉大な先人たちなんだなと妙に誇らしげになった気がしました。
私が今回の記事を書くうえで
少し特攻隊の遺書内容を調べさせてもらいましたが
誰一人として弱音を書いていないんですよね。
遺書に本音を書かないというよりも
弱みを絶対に見せまいとする覚悟が現れていました。
特に特攻隊員はみんな20歳前後じゃないですか
私より皆年下です。
そんな若者が遺書に本音をつぶしてまで
強がりを書いて散っていったと思うと
日本国民として誇らしげな気分となりました。
そんなまだ生きたかった若者が
特攻隊で命を落としてまで守りたかった日本に
私は何ができるのだろうと毎年8月には思うのです。
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